森羅万象退屈至極。

やっぱり書きたい。

自己愛。


のほほん、と書きましょうね。たまには夜に姉貴とまったりしたい時もあるからね。←
だから今書いてしまおう(笑)



『自己愛』。


ずっとね、色々この言葉について考えてた時期があって。
まぁ何なら今でも『よく解っていない』んですけど。
パッと聞きは「ナルシスト」とか?
「自分大好き人間」ってよく評されたりね。


でも、『自己愛』って言葉だけだと、『自己への愛情』って事でしょうか。『自分に対しての、自分の愛情』。
個人的には、「ナルシスト」全然嫌いじゃないんです。
「自分の事も愛せない人は、きっと誰を求めても満たされない」んじゃないかなぁ、と。思うんです。



自分も、「自己否定の塊」でしたから、余計に「ナルシスト」の人が羨ましい、というか。「わぁすげぇなぁ。」って。
まるで自分の事を、「世界で一つだけしかない宝物のように」扱うんですよね。
そして、よく『誰も褒めてくれへんから、自分だけでも一生懸命褒めてやらんと!』なんて言いながら笑うので、コチラも何故だか笑顔になるんですよ。不思議。


そう言う人達を褒めると、「照れて返される」んです。


なんちゃってナルシストさんは、褒めると不機嫌になってしまうので、大変解りやすいです。
『私(俺)、自分大好きだからさぁ~。』っていうタイプの方。



この違い。



『自己愛で自分が充たせているかどうか』なんだと思います。



真の『自己愛』とは、「赦せているかどうか」と、「自分と対話しながら、レベルアップしようする事」ではないかと。
『鏡見ながら陶酔している人達は、「他者の目」で自分を判断している人達』なので、「客観視」と言えば聞こえは良いんでしょうが、「客」は「自分尺度」ではないので、色々間違ってるんですよね。←


『自分の好きな自分で居ようとする事』が、「ホントウ」。
その為に努力したり、諦めたりしても、結局「納得出来ていれば」どうという事はないと思います。
「自分を騙す事は案外容易だが、自分を納得させるのは難しい」ですよね。
対外と関わったりすると、影響も受けるし、較べてしまうし、「自分はこのままで居ても良いのか」って思います。



ハッキリ言おう。「良い」!(笑)
寧ろ誰に訊くのソレ、誰が決めんねんそんな大事な事!
「このままではアカンと思うんなら努力したら良い」し、「別に自分では良いと思うけど周りからどう見られてるか不安」なら「直接訊く」という手段もあるんやで~。


「どう見られるのが正解か」は『無い』!
「どう在るのが自分にとって正解か」を「知れば良い」だけ!
以前、尊敬している方とやり取りを重ねて、「ああ良かった、自分の選択は間違いではなかったな」と、思えた事があるので、本当に骨身に沁みてそう痛感します。


『他者は「他者の価値観」を振りかざす、という大前提があるので、いちいちそれを「自身に投影」していたら、いずれ自分が壊れるか、無くなるか、或いは放棄する事になる』
『その時でさえ、その選択の責任は自分で取らなければならない。その選択は「誰かの、何かのせい」にしても、何も変わらない』
『ならば、いっそ聞かずに、「自己を徹底的に研究して、自分が何に対して傷付き易いかを知り、その場所を避ける」』


要するに、「自分を知る」事に尽きる、と。
そして、「他者の価値観に振り回されない自分を、自分でしっかり確保しておく」のがベストでした、自分にとっては。
あ。「他者の価値観に感銘を受けた場合は、それを素直に取り込める事」も、大事ですよね。


『真似したろ精神』。(笑)
周囲には本当に様々な人々が居ますので、「価値観のバーゲンセール状態」ですのでね、色々あります。
その中で、「あ、面白い価値観!真似したい!」ってあると思います。どんどん真似します、自分は。
その価値観をもとに「行動を続けると」それはやがて「自分の価値観」になっていきますよ。本当に。


「使い続けると馴染んでくる感じ」です、まさに。(笑)



だからね、『自己愛を追及する事』は『悪い事』じゃないよ!
「見てくれだけで中身が無い」人間にならないように気を付けて、っていつも思っています。
娘も、ちょっぴり自分に自信はありません。
「人から頼られてる時は自信があるけど、頼られなくなったらどうしようっておもうから、心配になる」と言います。


娘よ、ソレは自信ちゃうねん。
「自分のままで生きられてる事=自信」やねん。
コレは父親の教えの受け売りもあるけどね。←


「頼られてるのが『嬉しい』と思えるんなら、それで良いやん。しんどくないんなら、頑張れや。」って言うと、「しんどい時もある」って言うので、「ほんなら、素直に『手伝って欲しい』って言えば良いやんか。」と返したらば。


『あ!そっかそうだよね!』
『頼られてるんだから、頼ったらダメやって思ってた!』


何の為の『クラスメイト』やねん。頼れよ(笑)
「頼られてる自分でなければいけない道理なんか無いし、誰もそんな事を期待なんかしていない」んだから。
「出来ない事は、出来る人に頼る」
「誰かの出来ない事が自分に出来る時は、代わりにやる」



『お互い様』ですよね、コレが。


「それぞれの適性を活かせなくてどうするよ」と思います。
まぁ学校や社会は『同調圧力』の場でもあるので、ある程度『順応は必要』ですが、出来れば「納得出来ない事を無理矢理納得する事にならないように」して欲しいかなぁ。



こうやって人間って、『勝手に自縛していく』んだなぁ、と。
自分にも充分当てはまるので、『自縛する』事そのものは否定しないけれど、『自縛をほどく時間』は、作っていかないといけないと思いますね、本当に。
『自縛』は行き過ぎると『自爆』になる、と(笑)




何が言いたいか簡潔にまとめるのが難しい性分なので、相変わらずダラダラ書いてますが、無理矢理まとめるなら、


『自己愛で、自己を追及しましょう!』って事です。
これ以外に大事な事なんて、下手したら無いんじゃないか、とすら『今の自分には』思えます。
30秒後には変わっているかも知れませんが(笑)
「なう」では、そう思います。←



ちなみにこうやって「書く行為」も、自分はいつも、
『自分に読んでもらう為に書いて』います。
「読者は『自分』です!」と胸を張って言いますよ(笑)


もし、読んで下さる方が居るならば、幸い至極であると同時に、「どうぞお手柔らかに、料理して下さい」と思います(笑)





さぁ!今夜はまったりするぞ~。
また次回。