森羅万象退屈至極。

やっぱり書きたい。

「両親」とは。


BGMは、我が師匠の「黒い傘」。
何回リピートしても飽きない、大好きな曲です。
師匠の書く歌詞の、何とも言えない不思議な「言葉遊び」に、時折不意にザックリと、心が抉られます。



さて。
今日のお題は「両親」。


自分が子供の時は、両親には、「敬語」で話してました。
「おはよー」ではなく「おはようございます」
「おやすみー」ではなく「おやすみなさい」
学校に提出するプリント等を、親に渡す時も、
「このプリント書いておいてください、明日までにお願いします」って言ってたかな。


勿論返事する時は、「はい」「いいえ」。
例えばうっかり「うん」とか言っちゃったら、問答無用で鉄拳制裁されてしまうんですね(笑)


それが「当たり前」だったので、当時は全然気にもしなかったんですが、初めて友達の家に遊びに行く事が許されたのが小学校六年生の時、友達の家で衝撃を受けたんですよ。



めっちゃタメ口。親に。!
何なら父親に「お前」とか言うんですよ、女子ですよ!
しかも父親も、怒るどころか笑いながらタメ口(笑)
お互いの距離が、何だろう近く見えて、その時に思わず友達に、「そんな言葉使いしたら怒られるやん」と言って、逆に驚かれてしまうというね。


帰り道、羨ましいなぁ、なんて思ってたなぁ。
あんなに仲良く話してみたいなぁ、親と。って。



やっぱり、「距離があり過ぎる」と、いつまで経っても、「親の人間らしさ」が見えないんですよね。
「親」は「親という生き物」としか見えない。
親が何を考えているか、なんて聞けないし、コチラからどう接して良いかが解らず、ただただ顔色を伺うだけ。


両親が口論している姿も、仲良くしている姿も、「見る事」は出来ても「入る事」が出来ない。



現実として目の前にある光景なのに、「遠い」んですよね。



もっともっと、たくさんの事を話してもらえたら、そしてコチラの話をもっともっと、聞いてくれたらなぁ、って。
今の自分なら、両親の離婚を止められたかなぁ。


知らないうちに「離婚」が決まって、それ以前にちょくちょく家出する母親だったので、「ああまた居なくなるの?」くらいに思っていたんですが、その時でさえ、やはり両親が「何を考えていたか、何故離婚しようと決めたのか」を、子供ながらに「理解出来る程の距離感」が、無かったんですよね。


兄貴は、知っていたのかな。
だから必死に止めたんでしょうか。
心が壊れてしまうくらい必死に、「行動出来た」んでしょうか。


「話して欲しかったなぁ」と、今では思います。
だから未だに、母親に対して何の感情も抱けないのかな、と。




まぁ自分の場合は、それがある意味「ラッキー」だったのかもなぁ、とも思います。
「親が憎いという気持ちに縛られる事」も、
「親に愛されたくて叶わなくて苦しむ事」もなく、今までの人生の半分くらいは「母親不足の気持ちに心を支配される事」がなく過ごせてきたと思います。



自分が子供を授かってからは、顕著に悔やんだというか。


「片親である」という事に縛られて、「良い母親とは一体どんな親であれば、そうなれるのか」とか、それこそとり憑かれたみたいに、色々調べたりしてました。
「育てられたようにしか育てられない」という文言を見つけると、「母親を知らない自分には、育てられないという事なのかな」と、ちょっぴり傷付いた気になったり。


育児の本とか見ると、本当に色々「理想」が散らばっていて、「答えを探している」のに「逆に混乱する」というね。←



だからもう、これは、自分には無理だぞ、と。
ならば、目の前でコチラを物珍しげに見つめてくるこの赤子を、今度はコチラも「観察」しようじゃないか、と。
自分の腹から、産まれ出てきた瞬間から、この生き物は、ちゃんと「生きよう」としているんだなぁ、と。


腹が減れば泣くし、寝心地が悪いと泣くし、眠いけど眠れなければ温度を求めて泣くし、何かに安心出来なければ泣くし。



『ああ、赤子って「感覚のバケモノ」なんだ。』と一人で納得してからは、道すがるベビーカーに乗っている子供を見ると、少々畏敬の念を抱くまでになりましたよ!
彼らは「五感の生き物」ですよね。


自分で動けない分、五感がフルに働いているのかな、と。



そっから色々なモノを見たり、聞いたり、触ったり、嗅いだり、味を知る事で「学習(?)」していくんだなぁ、と。
我が子をじっくり観察して、ずっと一緒に過ごしていくと、
「親である」事の前に、「先ずはしっかり自分という人間を律していくべきだ」と思いました、痛感しました。


「親であろう」とする必要は無かった。
「ただしっかり自分を確立して自律すべき」だった。


そう考えると、自然と楽に子育てに挑めましたね。


少々常識からは外れているかも知れませんが、でも今のところ娘は取り立てて心配するような事もなく、周りとも仲良く、年下にはちょっぴり甘めの、優しい子供になってくれました。
真面目であろうとする事なく、ちょっぴり強かな面もあり(笑)



自分的には、申し分のない子供に。
有難い事です。
特に拘ったのは、やはり「会話」です。
赤子のうちから、ずーっと話かけてました(笑)
言葉は発しないけど、目や手が、ちゃんと応えてくれるんです。コチラを「認識」しようとするんですよね。


当たり前の事だと笑われましたけど、自分にとっては、本当に感動したんですよ!
些細な事に、めちゃくちゃ感動しまくってました。
今も、勿論感動はありますが、もう我が子は、「我が子の自我で生きて」いますので、お裾分け程度に感動させてもらうだけです。彼女の人生、なんですから主役は彼女なので。



「片親育ちである」事に、ずっと「縛られて」いた頃と、
「片親育ちである」事も、「自分を形成する一部である」と「受け入れられた」今では、やはり「重圧の程度」が違うんだなぁと、実感しています。


「これがなければ今の自分には成れていない」と。


だから今は、ちゃんと自分を「赦せて」います。
だからしっかり立って、子供を支える杖になりたいです。
これは受け売りもありますが、「子供の杖になる」という発想が無かった自分にとっては、本当に光明、というか。


「腹が据わった」瞬間でもありました。





長々と書きましたけど、正直な気持ちです。
昨日見たニュースで、思くそ凹んで、姉貴と一晩中話して、自分の「モヤモヤの正体」を垣間見た気がしました。
それからは少し、心のつかえが取れたかな。


「ひらがな書く」より大事な事があったと思うよ。
何も難しい事じゃない、目の前の我が子を、「ただ一人の人間」として、向き合って接する事が出来ていたならば、
「お互いの笑顔が一番嬉しい」と思えただろうにな。




今回のニュース、我が子も知ったのですが、その子供が栄養不足であったらしいと聞いてすぐに、
「どこでもドアがあったら、私食べる物持っていって一緒に食べよ、って言うのになぁ。」
という、何とも彼女らしい事を呟いておりました。


うん、そうね。
「一緒に」を、叶えてあげて欲しかったよね。
「生きていく上で、大人も子供も、動物でさえも、植物であっても、『一緒に』が叶う環境が必要じゃないかな」と思うよ。



『一緒に、居たかったね』
『一緒に、生きて生きたかったね』


『一緒の景色を、別々の個体が見つめる事が出来ている事』


感謝しないといけないよな、と本当に思います。




また次回。